ウイークリーブレッド・オブ・ライフ

ウィークリー・ブレッド・オブ・ライフ
(2023年1月2日(月)~8日(日))
岸和田聖書教会
牧師栗原純人
デボーション(毎日礼拝)をしましょう。
私たちの教会は、『みことばの光』誌の聖書日課に沿って、教会員全員が毎日同じみことばを聞き、恵みを分かち合っています。主日礼拝も、その箇所からメッセージが語られ、水曜祈祷会でも、その箇所をみなで読んで語り合います。
『みことばの光』は、5年間で旧新約聖書66巻をすべて読む計画を持っていますが、この2023年は、新しい5年サイクルの初めの年となります。あなたもこの機にチャレンジしてみませんか?三日坊主でもかまいません。いつからでも、やり直すことができます。あなたにとって神さまのみことばが、喜びとなり力となり、期待となりますように。毎日の聖書日課からのメッセージ集『みことばの光』は一冊(一か月)430円です。購読を希望される方は鍛冶洋子姉まで。この「ウィークリー・ブレッド・オブ・ライフ」も、今週の聖書日課からのメッセージ集です。これが、みなさんの聖書通読、デボーションのための助けとなりますように。読んでいて分からないことがあれば、いつでも牧師に声をかけてください。メールやラインをしてください。
教会創立70周年のこの年、神さまが私たちを通して現わしてくださるみわざを期待しつつ。
1月2日(月)
今日の聖書日課:詩篇2:1~12
恐れつつ主に仕えよ。おののきつつ震え子に口づけせよ。詩篇2:11
先週で詩篇150篇を読み終えたと思ったら、今週からまた詩篇が始まりました。詩篇の最初の二つの詩は、150ある詩篇集の前書きのようなもので、1篇は「みおしえ(みことば)」が2篇は「メシア(「主に油注がれた者」(2)」がそれぞれテーマとなっています。新約聖書は王であるメシアがイエスであることを示しています(たとえば使徒4:25~26)。2篇は、メシアもまた主と同じく怒られるお方であると言います(12)。しかし詩人はこのメシア(子)に「口づけせよ」と命じます(11)。メシアはさばき主であると同時に、救い主であるからです。触れたら最後、とうような恐るべき方であると同時に、人間が口づけをもって愛をあらわすべき対象なのです。イエスさまを想うとき、それがわかります。神でありこの世をさばくべきお方が、人の罪のために死んでくださった。よみがえられた。だから私たちはこの方に「おののきつつ震え口づけ」するのです。
1月3日(火)
今日の聖書日課:詩篇3:1~8
私は身を横たえて眠りまた目を覚ます。主が私を支えてくださるから。詩篇3:5
詩篇を読む時のヒントの一つに「表題」があります。ヘブル語の詩篇では1節として記されています。これは付録ではなく本文。その詩が語られた背景です。3篇はダビデが息子アブサロムからのがれたときに語られたことば。息子にいのちを狙われ逃げ回るダビデの恐れと、主への呼び求め。そんな恐れの中にありながら、ダビデは眠るのです。眠れるのです。眠れない夜も、主が私を支えてくださるという確信の中で眠るのです。そしてまた眼を覚まします。なんという幸せ。
あなたの眠りも、神さまへの確信と信頼のうちに深められますように。
1月4日(水)本日の祈祷会はお休み。本日は10:30より堺大浜キリスト教会で、福音交友会「ティーンズ新年会」が行われます。中高生たちに聖書を読む面白さが伝えられますように。
今日の聖書日課:創世記1:1~13
はじめに神が天と地を創造された。創世記1:1 ヘブル語の「創世記」の書名は「はじめに(ベラ―シート)」。何のはじめなのでしょうか?この世のはじめです。しかし、この世のはじめに神が現れたのではありません。はじめに神が天と地を創造されたのです。「神が世界を造った」と言うと「その神は誰がつくったの?」という人がいますが、神はつくられません。神はすべてを造られたお方。そして創世記1:1の「はじめ」のその前から存在されたお方。神は「はじめ」を始められたお方なのです。創世記1:1を信じるか、どうかによって世界観、人生観は変わります。
1月5日(木)
今日の聖書日課:創世記1:14~31
神はご自分が造ったすべてのものを見られた。見よ。それは非常に良かった。夕があり、朝があった第六日。創世記1:31
神は六日間で天地万物を創造されました。その中には人間も入っています。人間は神の創造の最後、六日目に造られました。まるでテレビドラマの舞台セットが全部できあがって、最後に主役の俳優・女優が現れるようです。神のかたちとして造られた人間は、神が造られた地と生き物を支配(管理)する使命を与えられました。人間が造られた六日目。神はそれまでと同じように、造られたものを見て、良しと見られました(4、10、12、18、21、25)。しかし6日目の終わり。はただの「良し(グッド)」ではない。「非常に良かった(ベリーグッド)」。神が創造された世界は、そのすべてが非常に良かったのです。私たちが生きるこの世界は良いこともあれば悪いこともある。しかし創造のはじめはそうではない。すべてが良かったのです。想像するしかないですが、どんな風だったでしょうか?でも、覚えていてください。神さまが造られた世界、そしてキリストの救いによって回復されるべき世界がこの1:31に表されているということを。
1月6日(金)
今日の聖書日課:創世記2:1~14
神は第七日に、なさっていたわざを完成し、第七日に、なさっていたすべてのわざをやめられた。創世記2:2
おかしいな。神は天地を六日間で完成されたのではないか?第七日に完成したってどういうこと?それは神が「完成!」と宣言する日が設けられ、その宣言によって天地は完成したということ。その日、神は創造のわざをやめられ、ただ完成を宣言されました。「安息日」はただの骨休めではないのです。何もしないで、神さまが造られた世界は「非常いに良い!」と私たちも宣言するときなのです。今は、すべてが「非常に良い」とは言えません。だから主イエスが十字架によみがえられた日曜日に、私たちはわざをやめ、救いの完成を宣言するのです。日曜礼拝で、お互いに「あなたは良い!」と言い合いましょう。
1月7日(土)
今日の聖書日課:創世記2:15~25
また、神である主は言われた。「人がひとりでいるのは良くない。わたしは人のために、ふさわしい助け手を造ろう。」創世記2:18
まだ罪が入る前なのに「良くない」ことがありました。人がひとりでいることでした。神はアダムに一人でご自分に仕えるように仕向け、彼に助け手の必要を感じさせ、実感させ、そして彼のあばら骨からエバを造られました。今も人がひとりでいるのは良くないのです。あなたは誰かと一緒に協力して神に仕えるように造られているのだから。
1月8日(日)今日は、成人祝福式、青年祝福式を執り行います。久しぶりのあの子、この子にまた会えますように。
今日の聖書日課(礼拝説教箇所):創世記3:1~24 「良い知らせ」

2022年09月05日