運転免許証  辻 喜男

運転免許証の継続か返納か
 先日、ある有名人が運転免許証を返納した、ということがテレビのニュースで取り上げられていました。私と同年輩のその人が、「自分で判断できる間に決めたいと思いました。」と語っていたことに心が留まりました。肉体的な衰えと共に判断力の衰えにも気をつけなければならないことを考えさせられました。ただ我が身を振り返って、肉体的な衰えはそれなりに分かりますが、判断力の衰えについてはなかなか分かりづらい点もあるのではないかと思います。「自分は大丈夫だ」というわがままな思いが、年齢を重ねるとともに強くなるように思えるからです。家族からのチェックは素直に受け止めなければ・・・
 来年、免許証と車がともに更新の年を迎えます。その時が来れば、改めて免許証も車も更新するかどうかの決断が問われる良い機会になるかと思います。これから約一年かけて、あらゆる可能性を想定しながらじっくり検討したいと思います。
 しかしその前に、このような人生の転機を迎えた時、私たちクリスチャンはまず神に祈ります。ふさわしい判断が与えられるように、また決められたことには感謝して従うことができるようにと祈ります。というのは聖書の教える祈りは、自らの願いを訴えて実現させるための手段ではないからです。願いごとを訴える前に、ここまで何十年も運転が守られたことを感謝し、その感謝と祝福が続くように祈ります。
 そのようにクリスチャンの祈りは、毎日の歩みが神の守りと祝福のうちにあることを感謝することから始まります。そしてそのように祈ることで、車の運転についても安全であるように気をつけます。それとともに、祈りのうちに日々の生活と運転が守られることによって、免許証と車の更新についてもふさわしい判断に導かれることを期待しています。

2022年05月30日